オカメインコの挑戦 2

オカメオウムとオカメインコ

先々月、テレビのCMにルチノーのオカメインコが出演しているのを見かけました。下の動画はYoutubeにアップされていたもの。正式版は、かんぽ生命のサイトで見られます。15秒版と30秒版があります。



このCM、オカメインコを飼っている人には、いくつか違和感を覚えることがありますね。でも、この映像は、広く世間にアピールすることが目的の映像ですから、それをとやかく言うのは、やめておきます。

私が気になるのは、このCMの正式名称。”「かんぽさんとオウム」篇”というのです。バタンなどではなく、オカメがオウムとして採用されたのは、家庭的な印象を与えるためかもしれないと思いました。小さな丸ケージはいかにも。

私の親戚や知人の中には、我が家のオカメを「オウム」と呼ぶ人もいます。オカメはオウムと認識されやすいのでしょうか。確かに、正しいのですが、彼らの動きはオウムというよりは、インコ。一方、外観は、あの優雅な冠羽と尾羽によって、バタンを小さくしたような感じです。おそらく、飼い主はオカメをインコと見なし、オカメをよく知らない人は、外見からオウムと見なすのではないかと思います。かんぽのCMはオカメのそのようなグレーゾーンについて思い起こさせました。

フブを迎えようと思っていた当時、小型のオウムを入手するかのような気持ちでした。あの真っ白な体と冠羽はいかにもオウム。しかし、今では、フブを、オカメオウムではなく、オカメインコだと感じています。オカメを飼えばすぐに分かることですが、何色でも、また、オウムであろうとなかろうと、オカメはとても魅力的ですね。






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「過剰なペット愛」を観て

 皆様には、暖かいお言葉や有益な情報を頂き、心から感謝しています。トゥイがこんなにも好かれていたのだと知り、とても嬉しく思っています。今日から記事のアップを再開します。今回は、トゥイが旅立った後に見て興味深く思った動画について書きます。

 その動画のタイトルは「異国のタブー ― 過剰なペット愛」。簡単に内容を紹介すると、前半はペットの死後にその体を剥製にすることを望む人々について。後半部は、サルやヘビなど必ずしも安全ではない動物を飼う人々について。
既に削除されてたらごめんなさい。

 

 上の動画は「過剰なペット愛」の前半部分。セキセイインコの剥製も登場します。そのセキセイインコの飼い主は完成された剥製を迎えに来なかかったそうです。様々なペットの剥製が引き取られぬまま保管されている様子が映し出されます。失われたペットに対する感情が落ち着いたために剥製が引き取られないケースがあるようです。一方、剥製になった伴侶をずっと側に置いている人も登場します。動画の後半部分については今日の記事の最後の方にリンクさせてあります。

 この動画は、動物に関する動画を検索していて偶然に見つけました。私がどうしてこの動画に興味を持ったかと言うと、トゥイを失ったことがその理由の一つです。ペットの亡骸をどのようにするかということについては、亡くなる前と後では考えが変わることがあります。潜在的なものが理屈という表面的なものを越えて出てくると言うべきかもしれません。想定されていたことが実際に生じると、それ以前に考えていたことがむしろ現実離れしていたと思われることがあります。変なたとえですが、例えば、彼女 or 彼氏に振られたとき。クールでいようと思っていても、そうはゆかないことがあります。振られると、それまで潜んでいたものが表面化してきます。ペットの死も同様です。感情というものは思い通りにはゆきません。

 トゥイが亡くなった後、父や母は剥製にしてもらってはどうかと私に提案しました。トゥイが元気なときには、それもいくつもの選択肢の一つではあると思っていましたが、トゥイが旅立った後、それについて気持ちが明確になりました。トゥイの皮をはいで、臓器を取り出し、眼をくりぬくなど、想像するのも嫌です。亡骸は痛みを感じないでしょうけれど、トゥイに対する自然な気持ちがそう思わせます。それに、私はトゥイの身体ではなくて、トゥイそのものを愛していました。ペットの亡骸の処理に関しては無条件に最良もしくは最悪と評価できる方法はないと思います。飼い主の気持ちと法の範囲内で許される実行可能性の問題であると思います。

 私はトゥイを剥製にしようとは思いませんでしたが、ペットを剥製にした人と共通する気持ちを持っていたと思います。トゥイの亡骸と離れてもよいと思うまでにある程度の時間を要しました。それはトゥイとの絆を改めて確認して混乱を収束させるまでの時間であったと思います。「喪」には様々な意味を見出せますが、心理的にはそういう意味もあると思いました。ペットを剥製にした人の場合、「喪」が私よりも長いだけだと思います。そういう人にも、ペットを埋葬してもよいと思える日が来ると思います。

 さて、以下は動画の後半部分です。人間を強く噛むなど、人間とうまく生活できないために手放された動物が登場します。触れあいに注意を要する鳥や雄たけびの激しい鳥を飼っている人には興味深いかもしれません。



 今回が今年最後の更新になるかもしれませんので、今年の締めのご挨拶。皆様と鳥たちが幸福な新年を迎えられることを心より願っています。


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期待

餌が欲しいの
トゥイはとても私に懐いていますが、ときどき、写真のように、噛み付いてきます。どうしてかというと、彼女の欲求を私が誤まって解釈してしまったため。

彼女がそわそわと動いているので、遊んで欲しいのかと思いきや、手を拒絶。機嫌が悪くなってしまいました。彼女は、シードがもらえる時間帯なので、シードをもらえると期待していたようです。彼女は、シードがもらえず、期待はずれであったので、怒ってしまったと思われます。オカメはどういうわけか、時間に比較的正確です。周囲の人間の動きや照度などで判断しているのでしょうね。


彼女は私が彼女を撫ぜようとしていると理解して、すぐに欲求の対象を切り替えました。彼女が私の期待に応えたということになりますね。私も彼女にその後すぐにシードをあげました。

オカメの飼育は、期待とそれに対する反応の相互作用をメインとしていると思います。単に餌が与えられれば、それを食べるといったような一方的な関係ではなくて、同居人とオカメの双方が、その場、その時に応じて相手の期待に応じて行動しているはずです。こういうお互いの働きかけとそれへの反応がオカメ飼育の魅力の一つです。


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オカメインコの性格に関する説明について思うこと


オカメインコを飼育しようと思ったら、どんな性格なのだろうと気になります。あるいは、こんな性格の動物を飼いたいと思って探すうちにオカメという答えに行き着いたということもあるでしょう。

オカメインコの性格については、飼育書には、しばしば、「穏やか」「陽気」「飼い主思い」「優しい」といったような語が並びます。しかし、私の場合には、いずれの説明にも誤解がありました。

「穏やか」は争いをしないとか、噛み付かないとか、騒がないとか、そういう意味だと思っていました。しかも、それに矛盾するように「陽気」とあります。この真意は一緒に暮らすまでは理解できませんでした。「飼い主思い」とか、「優しい」という言葉からは、あたかも、犬のようによく飼い主を理解し、その窮地を察して助けてようとするような姿を想像してしまいました。

こういう単純な単語は玉虫色なので、具体的な説明や例示が必要であると思います。病気などについては詳細な例示があるのですが、性格についてはどうかと思います。実際、私には、病気に関する説明については、後々になっても、納得させるものでしたが、性格についてはかなり誤解を与えていました。

私なりに解釈するならば、「穏やか」というのは、ある種の大型インコや大型オウムのように相手を殺傷するまで争うようなことがないというような意味であると思います。「陽気」は、遊び好きで、リズムに合わせて踊ることすらあるというようなこと。「飼い主思い」というのは、飼い主のために配慮するというよりは、飼い主に甘えるために飼い主に寄り添ったり、呼び鳴きをしたりすること。あるいは、パートナーとして接してくれることかもしれません。オカメによっては確かに飼い主の毛の手入れをしてくれたりすることはありますが、犬のように、飼い主の窮地を察し、助けようとしてくれるようなことはないと思います。「優しい」というのは、ようするに、気が弱いということであろうと思われます。あるいは、執念深さがないということかもしれません。

私は、オカメの性格について誤解をしていましたが、飼い始めて、その性格を問題なく受け入れることができました。オカメを複数飼うことになったのも、最初の一羽をとても気に入ったからです。しかし、オカメを飼いはじめた人の中には、幻滅してしまう人もいるかもしれません。オカメの性格については、抽象的な表現とともに、例を示して、その単語の示すところをよりわかりやすくして欲しいと思います。


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「大麻に似た植物 何者かが植えた?」にピンときた

今日は毛引きシリーズを休題して、ちょっとした「麻」をめぐる騒動について。


和歌山県で、大麻に似た植物が私有地に植えられていて不審に思われているそうです。以下の斜字がその記事の引用です。



大麻に似た植物 何者かが植えた?(和歌山)

4月27日17時1分配信 紀伊民報

串本町紀伊大島の休耕地で、土地の所有者が知らないうちに生えていた草が大麻(=アサ)に似ているとの声もあり、串本署が試薬で検査したところ「大麻ではない」との結果が出た。住民らは「明らかに自生したものではない。何の目的で植えたのか」と不思議がっている。
 地元の男性(60)が今月5日、花木を採取するため休耕地を訪れた際、草が不自然に生えているのに気付いた。土地の所有者は心当たりがなく、知人に知らせたところ、大麻の可能性もあるという声が出て串本署に届けた。
 草の高さは5~10センチで、葉は手のひら状。10本ほど生えていた。土地の所有者が同署の指導で引き抜き、処分した。同署は「大麻ではない」としており、事件性はないという。
 農学博士で植物に詳しい梅本信也・京都大学フィールド科学教育研究センター紀伊大島実験所長=串本町須江=は「写真で見る限り、法に触れるアサとは断定できないが、アサ属の一種だろう。植物の状態からすると、最近植えられた可能性が高い」と話している。
 「何者かが大麻と思って植えたが、実は違ったということではないか」と推測する声もある。
 紀伊大島では25日、男性の遺体が発見されたこともあり、住民は「平穏な島なのに最近物騒だ」と不安がっている。

最終更新:4月27日17時1分


私はこの記事をよんで、すぐに、これは鳥飼いの仕業ではなかろうかと思いました。麻の種を蒔いて収穫可能かどうか試したのではないかと。鳥を飼っているとそんな記事にも敏感に反応してしまうのだなと自分自身をおかしく思いました。


私は麻の種は大麻のもとであると聞いたことがあるので、マイロやヒエといった問題がなさそうな雑穀のみ育てたのですが、麻が大麻のもとだと知らなければ、麻も蒔いていたかもしれません。自分の土地がない団地住まいの人であれば、空き地に種を蒔いて収穫しようという思うこともあるかもしれません。特に子供であれば、なおさらそんなことを考えるものです。実際、私も子供のころに、餌をどこか空き地に植えて育ててはどうだろうかと考えたことがあります。子供には他人の土地も自分の土地もありませんからね。


鳥の餌に入っている麻が本当に大麻の種なのかどうかはわかりませんが、餌によっては、大麻にならない麻を使っているのかもしれません。そうだとすれば、今回の麻を植えた動機は鳥の餌の収穫だったのかもしれません。


フブ : フュイフュイ ! ( いつも応援ありがとう ! )

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信長風飼育が否定される時代

トゥイとのスキンシップ

前回は、飼育する動物にはスキンシップを楽しむためのものと、その行動や習性、容姿を観察してたのしむためのものとがあると書きました。鳥類飼育にもそのような2通りの楽しみ方があると思います。鳥類飼育における一つの問題は、後者の目的追及が過剰となった場合です。

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カメとオカメ

泳ぐ亀

前回はオカメと触れ合っている様子を掲載しました。その後、コメントを読んでいて、ふと、考えたことがあります。

我が家にはオカメのほかに「カメ」がいます。カメとオカメ、その魅力の違いは甲乙評定するような問題ではなく、飼い主が好む動物との触れ合いのあり方の問題だと思います。今回は、オカメの魅力とは対照的なカメの魅力について考えることをきっかけとして、鳥飼育の目的とそれが孕む問題について考えたいと思います。


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