オカメインコの挑戦 2

「過剰なペット愛」を観て

 皆様には、暖かいお言葉や有益な情報を頂き、心から感謝しています。トゥイがこんなにも好かれていたのだと知り、とても嬉しく思っています。今日から記事のアップを再開します。今回は、トゥイが旅立った後に見て興味深く思った動画について書きます。

 その動画のタイトルは「異国のタブー ― 過剰なペット愛」。簡単に内容を紹介すると、前半はペットの死後にその体を剥製にすることを望む人々について。後半部は、サルやヘビなど必ずしも安全ではない動物を飼う人々について。
既に削除されてたらごめんなさい。

 

 上の動画は「過剰なペット愛」の前半部分。セキセイインコの剥製も登場します。そのセキセイインコの飼い主は完成された剥製を迎えに来なかかったそうです。様々なペットの剥製が引き取られぬまま保管されている様子が映し出されます。失われたペットに対する感情が落ち着いたために剥製が引き取られないケースがあるようです。一方、剥製になった伴侶をずっと側に置いている人も登場します。動画の後半部分については今日の記事の最後の方にリンクさせてあります。

 この動画は、動物に関する動画を検索していて偶然に見つけました。私がどうしてこの動画に興味を持ったかと言うと、トゥイを失ったことがその理由の一つです。ペットの亡骸をどのようにするかということについては、亡くなる前と後では考えが変わることがあります。潜在的なものが理屈という表面的なものを越えて出てくると言うべきかもしれません。想定されていたことが実際に生じると、それ以前に考えていたことがむしろ現実離れしていたと思われることがあります。変なたとえですが、例えば、彼女 or 彼氏に振られたとき。クールでいようと思っていても、そうはゆかないことがあります。振られると、それまで潜んでいたものが表面化してきます。ペットの死も同様です。感情というものは思い通りにはゆきません。

 トゥイが亡くなった後、父や母は剥製にしてもらってはどうかと私に提案しました。トゥイが元気なときには、それもいくつもの選択肢の一つではあると思っていましたが、トゥイが旅立った後、それについて気持ちが明確になりました。トゥイの皮をはいで、臓器を取り出し、眼をくりぬくなど、想像するのも嫌です。亡骸は痛みを感じないでしょうけれど、トゥイに対する自然な気持ちがそう思わせます。それに、私はトゥイの身体ではなくて、トゥイそのものを愛していました。ペットの亡骸の処理に関しては無条件に最良もしくは最悪と評価できる方法はないと思います。飼い主の気持ちと法の範囲内で許される実行可能性の問題であると思います。

 私はトゥイを剥製にしようとは思いませんでしたが、ペットを剥製にした人と共通する気持ちを持っていたと思います。トゥイの亡骸と離れてもよいと思うまでにある程度の時間を要しました。それはトゥイとの絆を改めて確認して混乱を収束させるまでの時間であったと思います。「喪」には様々な意味を見出せますが、心理的にはそういう意味もあると思いました。ペットを剥製にした人の場合、「喪」が私よりも長いだけだと思います。そういう人にも、ペットを埋葬してもよいと思える日が来ると思います。

 さて、以下は動画の後半部分です。人間を強く噛むなど、人間とうまく生活できないために手放された動物が登場します。触れあいに注意を要する鳥や雄たけびの激しい鳥を飼っている人には興味深いかもしれません。



 今回が今年最後の更新になるかもしれませんので、今年の締めのご挨拶。皆様と鳥たちが幸福な新年を迎えられることを心より願っています。


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コメントコメント

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あっという間に新年が明けてしまいました。
大晦日はどう過ごされましたか?
私は毎年恒例のジルベスターコンサートを観ていました。0時過ぎには外で花火の音もして、年が変わったことを実感しました。
今年が良い年になるといいですね!

マキコ | URL | 2009年01月01日(Thu)02:30 [EDIT]


>マキコさん

今年の大晦日はとくに変わったこともせずに過ごしました。目が覚めたら新年早朝なっていました。いつも初夢を覚えていようと思うのですが、うっかりそれを忘れてしまい、後で思い出せなくなります。今年も、しまったと思いました。

ジルベスターコンサートは視聴したことがありませんが、毎年中継されているのですね。途中のカウントダウンがコンサートを盛り上げそうですね。

ありがとうございます。マキコさんにもよき一年でありますよう。


fubutoui | URL | 2009年01月01日(Thu)07:05 [EDIT]


年が明けましたね、私は主人が庭に埋葬したいと言いましたが、河原に埋葬しました。10年間命日にお墓参りをしましたが11年目からはいたしませんでした。いつまでも飼い主がオカメの魂を縛っていてはいけないと思ったものですから。でも河原を通るとついつい見てしまいなかなか感情がわりきれません。剥製は怖いですね、私には考えられません。たぶん私は星になったオカメや文鳥を剥製にしたらいつまでも自分や獣医を怨んで、怨みの念だけが剥製に込めてしまったと思います。今でも思い出すとちらっとあの時にと思ってしまいます。オカメの為に嫌な事は忘れてよい思い出を思い出してあげる為には写真一枚でよいのではと思っています。飾ってある写真はオカメが小さい頃で嘴にお弁当のアワタマが着いている可愛らしい写真です。みると懐かしく感じます。なかなか感情が整理出来ないかと思いますが、10年たった人がうじうじしているのだから仕方がないと思って下さい。
なんかだらだら書いていました、すみませんm(__)m

かな | URL | 2009年01月01日(Thu)22:09 [EDIT]


>かなさん

元気なフブと正月を過ごしています。

トゥイの生前には、トゥイの死後にトゥイをどうすべきか選択肢が多いと思っていたのですが、死んだ後には直感的に庭に埋葬しようと思いました。

子供の頃に、飼っていたシマリスが天寿を全うしたときには、雑木林のクヌギの木の根元に埋葬しました。私がお気に入りの場所だし、リスも喜びそうだと思ったからです。時と場所、その個体に対する思いよって、埋葬方法は異なってくるのでしょうね。

遺体を巧みな剥製にすると、そのコが側にいるような安心感があるかもしれませんが、嫌なことも思い出してしまうかもしれませんね。そのコの最期によっては、かえってつらいかもしれません。

私は気に入った額縁にトゥイらしさが現われているお気に入りの一枚を入れました。よき思い出が凝縮された写真なので、見ていると顔が緩んできます。

粟玉を食べていた頃が思い出深いのですね。写真というのはある瞬間を写したものですが、最近の容姿を納めた写真ほどよいとは限らないのが不思議ですね。20歳で天寿を全うしたオカメであっても、人によってはゼロ歳の頃の写真を好んで眺めるかもしれません。

fubutoui | URL | 2009年01月01日(Thu)23:24 [EDIT]