オカメインコの挑戦 2

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信長風飼育が否定される時代

トゥイとのスキンシップ

前回は、飼育する動物にはスキンシップを楽しむためのものと、その行動や習性、容姿を観察してたのしむためのものとがあると書きました。鳥類飼育にもそのような2通りの楽しみ方があると思います。鳥類飼育における一つの問題は、後者の目的追及が過剰となった場合です。

今回は前回の続きとして「廃鳥」とは何かということについて考えてみたいと思います。落鳥とは鳥が死ぬことですが、廃鳥とは鳥を殺すことです。つまり、鳥の死という終着点は同じなのですが、自然死か他殺かの違いがあります。最近では、落鳥という単語を見ることはあっても、廃鳥という言葉を見ることは稀です。飼育動物に関する意識が変わりつつあることがその傾向と関係しているのではないかと思われます。動物愛護法が虐待防止に重点を置くようになったことも、動物飼育に関する一般の考えが変化しつつあることを物語るものなのかもしれません。


さて、廃鳥が単に鳥を殺すとなれば、その範疇に「安楽死」が含まれていることになります。しかし、逆に言えば、安楽死と廃鳥は異なる概念であるといえます。つまり、廃鳥とは必ずしも「苦痛から解放してあげる」ために行われる行為ではありません。


ところで、私が鳥関係のサイトを閲覧していると、私の飼育に対する考えとは異なる考えの飼い主がいることに気がつきます。例えば、足や羽毛に障害を得た小鳥に愛情を感じず、その死を願うというような飼い主がいることを知りました。その思いが強いと、その個体が健康であり、飼育の手間も変わらないにもかかわらず、「廃鳥」にしてしまうこともあるようです。


さて、古い飼育書を読むと、そのような飼い主と同じような傾向を持っている、或いは、部分的にそのような行為を勧めるようなものがあります。


例えばある古い飼育書は次の主張をしています。

脱毛症のインコは、特別どこか健康を害しているということではなく、ふつうの飼い方をすれば他の健康なインコと同じように何年でも生きることができます・・・省略・・・若鳥の場合、決して回復することはありません。したがって特別な事情のないかぎり、かわいそうですが廃鳥にするほかないようです。


先述した障害鳥を処分するような飼い主とこの飼育書の態度には共通する点があります。それは容姿や鳴き声を楽しむことを飼育の重要な目的に据えていることです。美醜が生殺与奪の判断基準の一つになっているのです。それがどのような論点を持つかについてはここでは論じません。非常に多方面から論じることができる繊細な問題であるからです。


倫理とは無関係に一つ指摘すべきことは、一般の鳥飼いの意識が変化しているとすれば、過剰に容姿を重視するような飼い主は鳥飼いとして「異端」とされるようになるということです。これは一つの議論すべき問題であると思います。


極論を承知で言うならば、これは和鳥飼育の伝統と洋鳥飼育の伝統が抱える対立の一つである気がします。コンパニオンアニマルや動物虐待防止という欧米風の思想が一般化してきたこと、和鳥の捕獲を自然保護のために禁ずるという措置がとられるようになったこと、動物愛護法律が改正されたことなど、和鳥飼育の伝統に基づく飼育のあり方は大きな意識変化を要求されているように思われてなりません。「鳴かぬなら殺してしまおうホトトギス」という信長風飼育は全く通用しない時代になることでしょう。


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コメントコメント

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fubutouiさん、こんばんは♪
記事を読んで子供の頃母の実家で飼われていたキジを食べたことを思い出しました。「おじいちゃんが可愛がっていたキジだから残さず食べなさい」と言われたことを思い出します。確か「食べてあげたら成仏する」と言われたような・・・。衝撃的な思い出です(^_^;)
うちのセキセイインコ兄妹はお迎えしたときから様々な障害を持っていました。2羽とも鼻腔が変形していますし、飛べなかったり爪がなかったり。毛を抜く癖は治らないかもと言われたり。
セキセイインコの英名の語源がアボリジニの言葉で「美味しい」だからといって決して食べたりしないですよ♪いつまでも長生きして欲しいです(^^)

麻子 | URL | 2007年03月11日(Sun)21:27 [EDIT]


>麻子さん

食用に動物を育てている人にとっては、よいお肉になって、食べる人の役に立ってもらうことが喜びなのでしょうね。

私は、ショップで、先天的に指先のないオカメを見たことがあります。止まり木には止まれないので雛のような飼育環境に置く必要があると聞きました。一月後にはいなくなっていたので、どこかの家庭に迎えられたのだと思います。

飼っている動物の魂そのものを受け入れている人には、障害が発生しようとも可愛いことには変わりがありませんね。

私の家のカメの内の一匹は尻尾が切れ、指も一本切れてしまっているのですが、彼にはとても愛着をもっています。


fubutoui | URL | 2007年03月12日(Mon)00:21 [EDIT]


比べるのはおかしいのかもしれませんが

妊娠中、子供が障害を持たないで生まれてきてほしいと願いました。それは子供の事を思ってというより、自分がその事実と向き合って、きちんと世話をし続けられるか、不安だったからです。

ワタシなら、買うならやはり健康な動物がよいです。
買っていて怪我をした、障害が残ったというなら、いいのですが、最初から障害がわかっていたら、怖くて飼えません。



話は変わりますが、子供の「おままごと」の中で、最近は「ペット役」をやりたがる子が多いんだそうです。
家族の中で、ペットの順位が高いということなんでしょうね。

裏ぽいこ | URL | 2007年03月15日(Thu)19:42 [EDIT]


>裏ぽいこさん

私も、家族には健常者であってほしいし、動物も障害のない子が望ましいと思っています。しかし、障害が生じたからといって愛情がなくなるということもないと思います。私のカメの一匹は尻尾と指一本が千切れているのですが、それでもとても可愛いです。美醜にかかわる程度の障害が生じただけで、飼っている動物の生命を奪うような人がいるとすれば、その個体の魂を愛していないのではないかと思います。


ペット役といえば、昔は年下の者が勤めさせられる端役でしたが、進んでやりたがるコが多くなったところをみると、ペットの待遇が向上しているのでしょうね。犬はもちろん、鳥も待遇が随分とよくなっています。無農薬の穀物や鳥用のボトルウォーターなんてものも売っています。

fubutoui | URL | 2007年03月15日(Thu)22:45 [EDIT]


 
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